屋号は家の通称 [歴史・家・商店]
家名、門名、屋敷名ともいい、商店の通称も同類で、近代の企業体の名称にもその跡をとどめる。
都に集住した平安貴族が同系の「家」を居住地名で呼び分け、あるいは中世武家がその所領の在所名で同流の「家」を区別したのはその先蹤で、これらはのちにいわゆる「苗字」として「家」の正式な呼び名に転化した。
近世の村々には同姓の家が多かったこともあって、日常は屋号を呼び習わし、累代それが受け継がれていまに至っている。
屋号の呼び方はいろいろであるが、およそ次の型に類別できる。
つまり、〔1〕先祖名(久作・太郎兵衛など)、〔2〕家の本末関係、〔3〕屋敷の所在、〔4〕屋敷や家の特徴、〔5〕特殊職業名、〔6〕嘉名などで、「村住み」の由緒を示すものも多く、移動性の少ない村ではこうした「屋敷名」が久しく伝流されてきたのである。
近世都市の商家も同じく通称としての「屋号」をもっていたが、とくに越後屋・三河屋・近江屋・伊勢屋など出身地を名のることが多く、また大丸・角三など「家印」にちなむものや、職種名や嘉名を選ぶことも広くみられた。
明治後の新職種の発生に伴っては、館・軒・堂・荘・楼などをつけることが一般化し、また企業体組織に変わっても「法人名」に古い屋号はかなり残り、また「商標」の形でも若干残存した。
近世商家の屋号は、いわゆる「暖簾内」として伝統ある商家の本末関係をまとめる「象徴」として重くみられ、外に対しては店の由緒を誇り、信用を博する手段ともなった。
しかし仲間内では村々の屋敷名と同じく、それぞれの店の所在地を唱えて個別に呼び分けていた。
城下に集住した武家団にも同様「屋敷名」が生じて通称となっていたが、その伝流は明治後絶え、いまは一部が都市の町名などにその跡をとどめるにすぎない。
近世都市の「居職人」の家にも屋号はあったが、商家ほど同族的組織は発達しなかったので、その伝流はほとんどみられない。
都に集住した平安貴族が同系の「家」を居住地名で呼び分け、あるいは中世武家がその所領の在所名で同流の「家」を区別したのはその先蹤で、これらはのちにいわゆる「苗字」として「家」の正式な呼び名に転化した。
近世の村々には同姓の家が多かったこともあって、日常は屋号を呼び習わし、累代それが受け継がれていまに至っている。
屋号の呼び方はいろいろであるが、およそ次の型に類別できる。
つまり、〔1〕先祖名(久作・太郎兵衛など)、〔2〕家の本末関係、〔3〕屋敷の所在、〔4〕屋敷や家の特徴、〔5〕特殊職業名、〔6〕嘉名などで、「村住み」の由緒を示すものも多く、移動性の少ない村ではこうした「屋敷名」が久しく伝流されてきたのである。
近世都市の商家も同じく通称としての「屋号」をもっていたが、とくに越後屋・三河屋・近江屋・伊勢屋など出身地を名のることが多く、また大丸・角三など「家印」にちなむものや、職種名や嘉名を選ぶことも広くみられた。
明治後の新職種の発生に伴っては、館・軒・堂・荘・楼などをつけることが一般化し、また企業体組織に変わっても「法人名」に古い屋号はかなり残り、また「商標」の形でも若干残存した。
近世商家の屋号は、いわゆる「暖簾内」として伝統ある商家の本末関係をまとめる「象徴」として重くみられ、外に対しては店の由緒を誇り、信用を博する手段ともなった。
しかし仲間内では村々の屋敷名と同じく、それぞれの店の所在地を唱えて個別に呼び分けていた。
城下に集住した武家団にも同様「屋敷名」が生じて通称となっていたが、その伝流は明治後絶え、いまは一部が都市の町名などにその跡をとどめるにすぎない。
近世都市の「居職人」の家にも屋号はあったが、商家ほど同族的組織は発達しなかったので、その伝流はほとんどみられない。
update:2010年01月31日
